先月亡くなられた俳優の西田敏行さん。
さまざまな役柄で映画・ドラマに大活躍でしたが、10月17日に多くの人に惜しまれながら76歳でこの世を去りました。
11月17日放送の「ボクらの時代」では、
西田敏行さんの追悼企画が放送されました。
出演は、歌手・松崎しげるさん(65)、
俳優・柴俊夫さん(65)
番組では、お二人の希望で西田さんのお席も用意されていました。
お三方の深い関係とは?気になったのでまとめてみました。
モデル事務所で出会った、
松崎しげるさんと柴俊夫さん。
そのお二人の出会いが、西田敏行さんとの交流、ブレイクへとつながっていきます。
西田敏行さんは、
明治大学農学部を中退後、日本演技アカデミーを卒業。
1967年に「渥美清の泣いてたまるか」でテレビ俳優デビュー。
松崎しげるさんは、
日大芸術学部在学中の1970年、
日本ビクターからメジャーデビュー。
当時、デビュー曲が鳴かず飛ばずの松崎さんは、
銀座のモデル事務所で
雑誌モデルの仕事をはじめます。
そのモデル事務所で、俳優としてブレーク前の柴俊夫さんと出会いました。
柴さんは松崎さんより2歳年上で、
下町育ちと野球という共通点から
お二人は一気に仲良くなります。
それからの松崎さんは、柴さんに
銀座や赤坂、六本木、柴さんの地元の上野や浅草へ
よく連れて行ってもらったそうです。
そこで、柴さんのご紹介で、
青年座の劇団員だった西田敏行さんと出会いました。
売れっ子俳優だった志垣太郎さん、
歌手から俳優を目指す田中健さんも加わり、
5人でよくつるんで飲みに行っていたそうです。
全員が20代で独身だった当時、飲み会の支払いは
すでに売れっ子の柴さんと志垣さんのお二人に
おんぶにだっこの状態だったそうです。
そうしてあちこちに顔を出しているうちに、
六本木のクラブ経営者である芸能関係の方から、
「店で歌わないか?」と連絡が入り始めます。
松崎さんが歌いにいくことでお酒が飲めるようになり、
一緒に西田さんもついてくるように。
松崎さんが歌い、西田さんが司会のような
盛り上げ役で評判を呼びます。
その評判を聞いたTBSのディレクターから、当時の
土曜お昼12時~の人気バラエティ「ハッスル銀座」への出演オファーが!
生放送の番組内で、
クラブでのアドリブ芸を披露したところバカ受け。
これが松崎さんのブレークのきっかけとなりました。
その後の松崎さんは、1976年に「愛のメモリー」がスペインで音楽賞を受賞、
翌年の紅白歌合戦に出場したことで注目が集まり、出演の機会が増えていきました。
松崎さんの大ブレークの裏側には、
下積み時代に、苦しくも楽しい時間を共にした西田さんと
そんな二人を支えてくれた柴さんの存在があったのですね。
日刊ゲンダイの過去記事より
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